労働基準法の成り立ち
今回は、労働基準法の成り立ちについて学んでいくよ。
労働基準法の目的は、ずばり「労働者を守る」こと。1947年に制定されて以来、労働条件の最低基準を定めているよ。労働者の生活と権利を保護し、人間らしい生活を保障しているんだ。
例えば、私たちが当たり前に享受している「1日8時間労働」や「有給休暇」。これらは決して初めからあったものではなく、先人たちの過酷な経験と、社会の大きなうねりの中で勝ち取った「権利」の結晶なんだ。
黎明期:産業革命と「工場法」の誕生
一般の人々が強制的に働かされることは、かつては当然のことだった。
「奈良の大仏」をつくったとされるのは聖武天皇だけど、16メートルもの大仏をつくるのは非常に大変で、動員された人たちが大変な苦労に直面したことは、おそらく間違いない。北海道の開拓や炭鉱開発でも、労働者が「タコ部屋」に押し込まれ、逃げ出そうとすれば激しい暴行を受けたと言われている。
そんな「労働」の枠組みを大きく変えたのが、明治時代の産業革命だ。当時の日本は「富国強兵」と言って、産業振興と軍事力の増強に全力を注いでいた。300年も鎖国をしていた江戸時代から急速な近代化をとげる原動力にもなったけど、その裏側には劣悪な労働環境があった。
明治時代における代表的な産業の一つに「繊維産業」がある。紡績工場には地方から若い女性たち(工女)が集められ、一日12〜15時間もの長時間労働や、不衛生な環境によって結核の蔓延といった問題もあった。若い人は知らないと思うけど、「工女哀史」や「ああ野麦峠」という作品に当時の状況が描かれているから、気になった人はチェックしてみてね。
そんな惨状が社会問題化して、1911年に制定されたのが「工場法」だ。日本初の労働保護法で、施行されたのは1916年のこと。だけど、この法律はとても限定的で、「常時15人以上を使用する工場」しか対象にはされなかった。しかも、保護されるのは「年少者(15歳未満)」と「女子」だけだった。
労働基準法の「ここがすごかった!」
成人男性を含めて本格的な規制が始まるには、第二次世界大戦の終戦を待たなければならなかった。敗戦後、GHQによる民主化政策が進む中で、労働者の権利は大きく強化されることになる。中でも根本的なのが、言わずと知れた「日本国憲法」だよ。
日本国憲法は1946年(昭和21年)に交付され、労働に関して次のように明記したんだ。
- 第25条(生存権): すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
- 第27条(勤労の権利・義務): 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
この憲法27条の理念を具体化するために作られたのが、労働基準法(1947年)だよ。労働基準法は、それまでの工場法とは比較にならないほど画期的なものだった。それは、「働く人すべてを、人として尊重する」ことを明確にしたからなんだ。
労働基準法の中では、雇われて働く人(=労働者)であれば、誰であろうと全員が守る対象になる。この法律を「絵に描いた餅」にしないために労働基準監督署、いわゆる「労基署」も同時に作られた。こうして国が会社に立ち入り調査をして、ルール違反があれば是正させるという仕組みができあがった。
労働基準法の理念と変遷
労働基準法の中身は、オンラインでも読むことができる。その中でも最初に噛み締めたいのは、第一条「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」という一文だ。ここには、「人が人らしく生きられるようにすべし」という強いメッセージが込められている。
初代労働基準局長の寺本広作氏は、労働基準法のことを「労働者の憲法」と表現したことが知られている。
もちろん、労働基準法が制定されたことで全てが解決したわけじゃない。戦後、日本社会がものすごいスピードで復興と経済成長を遂げる中で、新しい問題が数多く噴出した。高度経済成長期として知られる1954〜73年には「日本人は働きすぎ」という国際的な批判と、過労による健康被害が広く知られるようにもなった。
当時の日本は「週休1日」が一般的で、土曜日も働くのが普通だった。しかし、経済大国となった日本に対して、欧米諸国から「日本は不当に長く働いて安く商品を作っている(ソーシャル・ダンピングだ!)」という厳しい目が向けられるようになったんだ。
こうした外圧と、国内での「生活の質」を求める声が合わさり、1987年(昭和62年)に大きな改正が行われた。
- 週40時間制への移行: それまでの「週48時間」から「週40時間」へと段階的に短縮
- 週休2日制の普及: 現代の私たちが享受する「土日休み」というスタイルが、日本のスタンダードとして定着
現代の「働き方改革」の位置付け
21世紀に入ると、人々の働き方はさらに大きく変化していった。そもそも労働基準法は、かつては「工場で働く人たち」をイメージして作られたという側面が強かった。だけど現代では、オフィスで働く仕事が大きな割合を占めるようになり、サービス残業や過労死といった問題が目立つようになっていったんだ。
2018年(平成30年)に行われた「働き方改革関連法」による改正は、労働基準法の歴史の中でも1947年の制定以来の大きな変化だと言われている。そこでのポイントは、大きく次の三つだ。
- 残業時間の上限を「法律」で固定: それまでは「36(サブロク)協定」さえ結べば、理屈の上では青天井に残業させることができた。しかし、この改正で「これ以上残業させたら罰則!」という絶対的な上限が法律に書き込まれた。
- 有給休暇の取得義務化: 「あっても取れない」と言われ続けた有給休暇。これを「会社は必ず年に5日は取らせなさい」と義務化したんだ。
- 勤務間インターバルの導入: 「夜遅く帰って、翌朝早く出社する」という無理をなくすために、退勤から出勤まで一定の休息時間を置くことが努力義務となった。
なぜ今、私たちがこれを知るべきか
さて、ここまで駆け足で労働基準法の歴史を見てきたけれど、どう感じたかな?
歴史を学ぶと分かるのは、労働基準法というものは、決して「優しい誰か」がプレゼントしてくれたものではない、ということ。 ある時は過酷な環境で倒れた人々の犠牲があり、ある時は権利を求めて立ち上がった労働者たちの運動があった。国際社会からの「外圧」が原因になったこともあった。
そうした「時代ごとの葛藤」の積み重ねが、今の1分1秒の残業代や、1日の休暇を支えているんだ。
そういう風に捉えると、労働基準法という一見すると無機質なものが、一転して「有機的な苦労の結晶」として見えてくるんじゃないかな?この点を押さえてから法律を読み解くと、細かい知識も頭に入りやすくなるよ。これから頑張ろうね!
まとめ
労働基準法は「弱い立場になりやすい労働者が、人間らしく生きるための武器」として発展した。
- 明治・大正: 劣悪な環境から女性や子供を守る「工場法」から始まった。
- 戦後直後: 憲法の理念に基づき、全ての労働者を守る「労働基準法」が誕生。
- 昭和後期: 国際基準に合わせて「週40時間制」へシフト。
- 現代: 過労死ゼロと多様な働き方を目指し、「上限規制」や「有給義務化」など、より踏み込んだ改革が進んでいる。